《飲茶の殿堂・茗圃》におけるアフタヌーン・ティー
現代においては「飲茶」というと焼売や餃子を思い浮かべる方が多いのが実情でしょうが、そもそも飲茶とは「茶を飲む」こと。大航海時代以降、西洋人が中国を訪れ「茶菓」によるもてなしに触れ、この仏教文化特有の慣習を取り入れるべく東インド会社を通じて大量の茶葉や茶器・茶具を輸入し、西洋の王室が「景徳鎮」を倣って茶碗や急須を造らせようと競って窯を起こさせたことは、よく知られているところです。「マイセン」「ロイヤルコペンハーゲン」「ウェッジウッド」「ヘレンド」といった著名な磁器製造メーカーがヨーロッパ各国の王室の肝入りで続々と誕生し、アヘン戦争を経て、英国によってインド・セイロン(現在のスリランカ)に紅茶の生産のノウハウが移植され、ヨーロッパにおける飲茶のスタイル、所謂「アフタヌーン・ティー」が定着しました。