現代においては「飲茶」というと焼売や餃子を思い浮かべる方が多いのが実情でしょうが、そもそも飲茶とは「茶を飲む」こと。大航海時代以降、西洋人が中国を訪れ「茶菓」によるもてなしに触れ、この仏教文化特有の慣習を取り入れるべく東インド会社を通じて大量の茶葉や茶器・茶具を輸入し、西洋の王室が「景徳鎮」を倣って茶碗や急須を造らせようと競って窯を起こさせたことは、よく知られているところです。「マイセン」「ロイヤルコペンハーゲン」「ウェッジウッド」「ヘレンド」といった著名な磁器製造メーカーがヨーロッパ各国の王室の肝入りで続々と誕生し、アヘン戦争を経て、英国によってインド・セイロン(現在のスリランカ)に紅茶の生産のノウハウが移植され、ヨーロッパにおける飲茶のスタイル、所謂「アフタヌーン・ティー」が定着しました。
一方、中国では、文化大革命によって仏教文化が棄却され、貴重な文化遺産や文献が焼却され、それとともに茶文化も衰退してしまいます。それでも、茶の生産地や、香港、台湾といった一部の地域において、かろうじて飲茶の習慣は伝承されてきました。しかしながら、仏教文化が否定され、茶藝がその機軸を失ってしまうと、「飲茶」といっても、それが「茶を飲む」ことを指すとは考えられなくなっていきます。日本に於いて「懐石料理」が「濃茶」を飲むための前座的な位置づけであったことが忘れ去られ、グルメブームの到来とともに「懐石料理」自体が脚光を浴びる一方で、「茶道」は習い事、或いは特殊な趣味の領域に留まるようになっていくのと同様、中国茶藝も一部の好事家の興味の対象となっていきます。ようやく1980年代になって、台湾において、中国の伝統的茶藝の再興を試みる動きが胎動し始め、一時的な中国茶ブームをもたらしましたが、文化的というよりも、多分に商業的な取り組みに終始していた感を拭い去れません。ひところ人気を博した中国茶講座も近年ではとんと見かけなくなり、個性的な中国茶専門店も閉店、もしくは活動を著しく制限するようになってしまいました。こうした状況から、現在では「アフタヌーン・ティー」というと、あたかも西洋のもの、というような認識がなされているといっても過言ではありません。
こうした現状を鑑み、本来の中国の伝統的茶文化の掘り起こしを、是が非でも実現したい、というミッションをもって、2009年⒓月に《茗圃》は開店しました。まずは現代における「飲茶」のカタチ、即ち「お茶」と「點心」の両方をキッチリと提供させていただくところからはじめ、8年後2017年に、ようやく、本来の中国式「ティー・セレモニー」の復元というところまで到達することが出来ました。「茶藝師」と「點心師」の双方を擁する体制を維持していくことは容易ではございませんが、西洋人を魅了した「ティー・セレモニー」の醍醐味を、現代に生きる皆様にもお楽しみいただけることを、われわれ《茗圃》のスタッフ一同、新たな決意と誇りをもってご案内して参りたく存じます。
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