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お茶

《飲茶の殿堂・茗圃》におけるアフタヌーン・ティー

 現代においては「飲茶」というと焼売や餃子を思い浮かべる方が多いのが実情でしょうが、そもそも飲茶とは「茶を飲む」こと。大航海時代以降、西洋人が中国を訪れ「茶菓」によるもてなしに触れ、この仏教文化特有の慣習を取り入れるべく東インド会社を通じて大量の茶葉や茶器・茶具を輸入し、西洋の王室が「景徳鎮」を倣って茶碗や急須を造らせようと競って窯を起こさせたことは、よく知られているところです。「マイセン」「ロイヤルコペンハーゲン」「ウェッジウッド」「ヘレンド」といった著名な磁器製造メーカーがヨーロッパ各国の王室の肝入りで続々と誕生し、アヘン戦争を経て、英国によってインド・セイロン(現在のスリランカ)に紅茶の生産のノウハウが移植され、ヨーロッパにおける飲茶のスタイル、所謂「アフタヌーン・ティー」が定着しました。
お茶

葉榮枝先生のこと

《茗圃》の名付け親であり私達の中国茶の師匠である「葉 榮枝(イップ ウィンチ)」先生のことは、多くのメディアや文献で既にご存知のことと思うので、ここでは、思い出に残るいくつかのエピソードを紹介したい。
お店の事

福臨門のこと

本場香港でも随一の名店と呼ぶべき『福臨門』が日本にやって来たのは1989年のこと。バブル経済も終焉を迎えようかという時期だった。私は、この広東料理の雄ともいうべき名店と、日本進出から10年の間、ともに仕事をする縁を得た。衝撃的な体験だった。...
お店の事

陳聯松のこと

今回は、《茗圃》にとっての大恩人、陳聯松のことを紹介しておきたい。  《茗圃》が開店して半年が経過した2010年の夏、大黒柱の呉チーフ(呉 錦洪)が病に倒れた。腰から下が痺れて立っていられない、というのだ。単なる疲労とかではない、何か重大な...
お茶

茶藝師 中田有紀のこと

私が、茶藝師の「中田 有紀」と出遭ったのは、2001年のこと。師匠の「葉榮枝」先生が来日し岩茶の講演会を開催されときに、私が中国茶に関連する仕事をする際にはご協力をいただけるとのお言葉を頂戴してその御礼のご挨拶に香港を訪れたとき、『楽茶軒』...
お店の事

大牌當のこと

《茗圃》はオープンして三年で黒字転換した。支配人の金が、早くも次の店の出店を打診してきた。黒字転換したといっても、資金ポジションは未だに良好とはいえず、新規出店をするには、そのほとんどを借入で賄わなくてはならない状況だった。私としては、せめ...
お店の事

呉錦洪のこと

今回は、私達の師である「呉 錦洪」について述べたい。  「呉 錦洪」は、香港が1997年に本土に返還されるに際し、東洋の別の拠点を築いておきたいという、香港『福臨門魚翅海鮮酒家』の社長「徐 維均」の意向により、間もなく開店を控えた『福臨門銀...
お店の事

チーフ会田政博のこと

《茗圃》の現在の料理長は、会田政博である。会田が専門学校時代にアルバイト先として『福臨門』を選んだのは、このレストランが香港を代表する広東料理の専門店だったからではなく、求人募集に応じて先生から紹介されたという、ほとんど偶然といってもよい理...
ビジネス

RAPPORTのこと

2016年に名古屋駅のランドマークともいうべき「大名古屋ビルヂング」がリニューアル・オープンし、3階のレストラン・エリアに"RAPPORT”が開店した。2027年に開業予定のリニア中央新幹線の構想によれば、名古屋駅から栄駅までの地下街、地下...
お茶

飲茶の歴史

現代では「飲茶」というと焼売や餃子のことを思い浮かべる方が多いと思いますが、「飲茶」の本来の意味は、読んで字のごとく、「茶を飲む」こと。その歴史は三千年とも四千年ともいわれています。  茶は「唐に起こり、宋に栄える」と云われるように、「陸羽...